2015年7月4日土曜日

京都市住宅管理課との懇談会


(京都市役所北側に仮設されている会議室に移動中です)

更新ずいぶん間があいてしまいました。定例ミーティングは毎週木曜日13時30分からやっていますので、ぜひ相談があったり、活動に関心をもってくださったりしたら、おこしください。最近、生活保護の引越し支援の相談がひとつありました。

久しぶりの活動紹介です。

6月19日(金)に、京都市住宅管理課との懇談会がありました。
住宅管理課の新しい課長も参加してくださいました。

今までの私たちの活動の経緯と住宅政策課・住宅管理課・住宅供給公社との関わりをご説明して、市営住宅の事前閲覧と京都市負担での入居前改修に関して意見交換させていただきました。

これから市会議員の皆さんのところにお願いにうかがおうと思っています。

ちょっとだけ、当日の議論の内容をご紹介します。
和室の段差撤去等の改修について、住宅管理課からは、現状復帰(個々人が改修した部屋を賃貸契約解約時に元の状態に戻して返却すること)も合わせた改修予算を組むのは難しい、というお話がありました。たしかに、予算をつけていただくのは非常に大変なことと思います。しかし、わたしたちは、より重度の障害者にあわせたバリアフリー化・ユニバーサルデザイン化を、現状復帰の対象にするのは、不合理ではないかな、と思っています。メンバーからも口々に「なおさなくても(現状復帰しなくても)いいじゃないか」と声が上がっていました。
今後の活動の参考になるやりとりをさせていただいたように思います。


2015年5月21日木曜日

2015年5月21日(木)定例ミーティング


(会議の様子、後ろの建物は任天堂。)

2015年5月21日に定例ミーティングをもちました。

先週の京都市住宅管理課への要望書提出のときの様子を土田さんから報告。

また明日のCIL豊中訪問の予定を確認しました。CIL豊中が機関紙で住宅問題についてあつかっておられるのを読んで、これはぜひ話をうかがいにいこう、という流れになりました。

ところで、なぜ屋外かというと、別件の会議に押し出されて、ここに自然とみなが集まって、結果的にこうなりました。

外でわいわい話をしていると、おひとり生活保護の住宅改修の相談に来られました。

シビアな内容でしたが、天気がよかったせいか、みな満面の笑顔です。。

ご関心持ってくださる方、木曜日13時30分からJCILにて、ミーティングしています。ぜひあそびにきてください。事前にご一報いただけるとうれしいです。


2015年5月16日土曜日

生活保護の住宅扶助引き下げ


(写真はある日のミーティングの様子です。みんな何を熱心に読んでいるのでしょうか。忘れてしまいました。)

生活保護の住宅扶助が2015年7月から引き下げられます。区役所のケースワーカーに聞いても具体的な金額はまだ知らされていないようでした。第22回社会保障審議会生活保護基準部会資料を見ていると、京都市は42500円から41000円くらいに引き下げられるのかなあ、と推測しています。

◆2015年1月9日 第22回社会保障審議会生活保護基準部会資料
http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-12601000-Seisakutoukatsukan-Sanjikanshitsu_Shakaihoshoutantou/kijun02_1.pdf

ちなみに、車いす利用者などの住宅を探すのが困難な人は特別基準該当という扱いになり、×1.3の55000円くらいで住宅を探すことができていました。民間賃貸でバリアフリー住宅を55000円で探すことがいかに難しいか。というか、ほとんどないんじゃないでしょうか。また保証人問題もあって民間賃貸のハードルは高いです。日本自立生活センターで地域移行された方たちは、仲間が住んでいた公団に引っ越す人たちが多くいました。その公団は家賃55000円ちょうど。「いきいきハウジングリフォーム」などで手すりやスロープをつけて生活します。
ところが、住宅扶助が引き下げられると、今の家賃を住宅扶助では支払うことができません。するとケースワーカーが更新時に引っ越しをすすめるそうです。さすがに、障害者に出て行けとはいわないでしょうか。でも公団が家賃を引き下げるとも思えません。それでは、生活費を切り崩して家賃の差額を捻出することになるのでしょうか。よく大家が家賃引き下げに走るという予測をしている法律家がいますが、甘いと感じます。

今後は、住宅扶助引き下げ反対の運動もしていかないといけないように思います。

ちなみに、生活保護基準部会での議論は、公的住宅保障政策の国際比較などもされており、私たちの運動に形を与えるための助けになりました。「住みたいところに住むための運動」(by 土田)が目指すのは、おそらく「公的な」民間賃貸住宅の改修・借り上げ・家賃補助です。公営住宅の建設(ストック)と低所得者向け家賃補助(フロー)の中間形態です。明治大学理工学部建築学科・園田眞理子さんが基準部会で意見を述べておられます。

この基準部会議事録の分析でいちばん参考にしているのは、貧困ジャーナリズム大賞を受賞した、みわよしこさんです。いつか、みわさんをお招きして、勉強会やシンポジウムをやりたいです。みわよしこさんのWeb記事から住宅扶助にかかわるものを以下、抜き出しました。


◆みわよしこ『生活保護のリアル』
●生活保護の住宅扶助は、本当に高すぎるのか?
ケースワーカー実態調査も示す日本の「住」の貧困
――政策ウォッチ編・第87回
http://diamond.jp/articles/-/62845

●現状でも不足しているのに住宅扶助引き下げ?
入浴に3時間を要する障害者の過酷な「住」
――政策ウォッチ編・第72回
http://diamond.jp/articles/-/57308

●住宅扶助は許されないゼイタクなのか?
“車椅子の歌姫”が強いられるギリギリの「住」
――政策ウォッチ編・第71回
http://diamond.jp/articles/-/56948

●日本の「住」全体まで劣悪化する可能性も!?
生活保護・住宅扶助引き下げの破壊的な波及効果
――政策ウォッチ編・第68回
http://diamond.jp/articles/-/55917

●生活保護当事者の住宅扶助はいくらにすべきか
アメリカに学ぶ「住」の最低基準の定め方
――政策ウォッチ編・第59回
http://diamond.jp/articles/-/51155

2015年5月15日金曜日

第1回勉強会の記録


(写真は、勉強会とは関係なく、春の鴨川を散策中の土田さんです)

以下は、運動のために勉強会をして記録を残そうという取り組みのひとつです。
第1回勉強会、講師は、日本自立生活センター所長・矢吹文敏です。
第2回勉強会からは、映像記録も公開していきたいです。


(以下、学習会記録)
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住まいの場づくり勉強会(第1回)  「障害者の自立生活と住まい」
お話 矢吹文敏さん(日本自立生活センター所長)


■講師のお話

●障害者運動のリーダーたちと住宅問題

私自身、「住宅問題という区切りだけでお話しする機会はめったにない。

過去にもいろいろと、障害者の設計屋さんとか大学の学者さんたちも住宅問題について、車いすが動きやすい家の設計はどんなものか、という研究はしてきている。

そういう資料は探せばずいぶんと見つかる。ただそれが、実際の運動に直接結びついたかというと、なかなか見当たらないです。皆さんが体験していることでもある。

1970年代に障害者のまちづくり運動がはじまり、これまで続いてきた。街づくり運動をしてきたリーダーたちの自分の家は意外とバリアだらけ。自分の家の玄関から出られないという人が多かった。福祉のまちづくり運動のリーダーであり、日本自立生活センターの代表で、3年前に亡くなられた長橋さんの家も、長橋さんは手で自由に動けていたということもあって、玄関から車いすで直接は中に入れない。

宮川くん(*宮川泰三さん。JCIL当事者スタッフ。JCILができるきっかけになった方)が長橋さんのおうちにうかがった時でも、ごろんごろんと転がるしかない。東京であれ、大阪であれ、活動家は自分の家をあまり公開することなく内緒にしてきた。私も実家がお寺で、お寺なんてバリアだらけ。私の家に来ようとすると、けっこうな坂道をのぼってこなければならない。

外では「街づくり運動ー」とか「行政なんとかしろー」と言っていたが、家に帰ったら「誰かあけてー」と言わなければならなかった。最近、時代の流れのなかでかわってきた。京都は1970年代向島ニュータウンや洛西ニュータウンができてきた。市営住宅の一階に2戸分の車いす住宅をつくるというのが京都市で決まって建てられてきた。全国的にも画期的なことだった。それでも、このパターンで車いすの人が公営住宅に入っているのは、ごくかぎられた人だけだった。私の出身地山形では、120万の人口のうち、車いす使用者のための4世帯分しか公営住宅がない。それに比べても、洛西と向島のニュータウンだけでも、当時車いすの方が2、3百人はいた。こんなところはめずらしい。

人間が生まれてずっと毎日、こどもの時から大人になるまで生活する住宅というのは、人間の心理学的にも、育ちの部分でも、大きく影響すると言われる。ある設計の人たちは、最近の青少年にとって昔と違うのは、茶の間がなくなったせいだと言っている人がいます。むかしはイイ悪いは別として、茶の間を通らないと玄関に出られない構造になっていた。いまの構造は、家族がいつ帰ってきたのかのかが分からない。いい意味ではプライバシーを守るという点があるが、家という制度は機能しなくなっていると言われている。

私ら障害者はむかしは座敷牢で育ち、そこで亡くなっていった人たちがたくさんいる。私自身も玄関から外に出るということは、その都度玄関にスロープを敷いて貰って、オフクロや兄貴が出入りができない。出たら最後、その人たちが帰ってこないと自分は家に入れない。自由というのは、住宅にかんしては限られた自由 だった。

車の免許をとって、先ほどまで外を自由に走り回っていた活動家やリーダーも、家に帰ってくると、玄関先でクラクションを鳴らす。奥さんや家族の人が出てくるのを待っていた。ですから、もし、完璧に自立した行動を望むのであれば、住宅の問題は避けて通れない大きな課題です。

つまり、この話は「住宅の構造、住みやすい家はどうか」というはるか以前の話です。その頃の話でいくと、私も含めて、宮川くんとか土田くん(*JCIL当事者スタッフ。この運動のリーダーです)とかYくん(*JCIL当事者スタッフ。地域移行支援が専門)の存在は世の中になかった。重度障害者は施設にいる人であって、世の中に出てきている人ではなかった。私らが重度だったんです。ある人からは「矢吹さんずるい、障害者手帳が同じ1級なのに、運転したり、いろいろできるなんて…」。しかし、考えてみると、重度とか軽度とかね、大変むなしい議論になる。なんの生産性もない。

現実的な人の感情で言うと、障害者同士でも不公平感を感じている。今回土田さんたちと一緒に、住宅供給公社に行ってよりはっきりしたが、住宅供給公社は、宮川くん山崎くんらが住む家ではなかった。小児マヒで動ける人や脊髄損傷の人のように、ある程度自分のことができる人たちのような住宅だった。みなさんが一人で自立生活をするなんてことは、失礼な話だが想定外だった。
宮川くんが舞鶴の施設から「自立生活がしたい」と長橋さんに何十回と電話も手紙もきて、訴えてきた時代は、自立生活という言葉自体もなければ、宮川くんが地域で生活するなんてありえなかった。「この人を自立させたい」ということは、誰も考えなかった。「施設から出た以上はうちは関係ない、戻ってきても困りますよとも言われた。

私が京都に1980年代に来た時、宮川くんの施設と役所との交渉に私も出席したが、自立生活なんてまったく考えていない。ましてや、住宅が重度障害者の生活を保障するイメージにはなっていなかった。

いろんな人たち(先輩たち)が施設から出てきて地域で暮らすということを実践してきた。最初は物置でもなんでもいいと借りて生活がはじまったわけですが、それを受けて京都市はそういう住宅をつくった。東京、神奈川、横浜でもそういう状況がはじまった。すると、私たちも自立生活をしたい、公営住宅に申し込みたいと。さあ、申し込もうとしたら、全部断られる。公営住宅法という法律のなかで、「著しい介助が必要な人は入れません」と明確に書いてあった 。

「単身入居と世帯入居というのがあって、世帯入居ではないとだめだ!」と言うのはおかしいだろう、と疑問を持ちつつ、障害者仲間の一部では、密かに偽装結婚?がその頃流行った。市営住宅の申し込み時点では、婚約済みの書類で申し込み、入居してから別かれるんです。役所は「話しが違ちがうじゃないか」とも言うわけですが、「入ってから喧嘩して別れたんだからしゃあないじゃないか」と。そんなことのトラブルも繰り返されたりもした。制度も変わり、単身入居もオーケーだとなってから、今度は、ヘルパーが日常的に泊まりに住むような状況は困ると言われた。そこでDPIが交渉して、「著しい障害者は入居できない」という項目は削除された。

たとえば、岩本さんたちは、入居してからも「畳もあるし良かったよかった。畳の部屋で寝られる。トイレも立派、お風呂も入れる。こんないい所に私たち入れて幸せだ」という人たちが出てきます。10年、20年もたちながら、環境は流れているわけですが。

いま住宅問題を考えるにあたって、いろんなものが見えてきたと思います。なぜ普通の人が一年に4回も募集期間があるのに、障害者は1回なのか。なぜ住宅の数が少ないのか。畳の部屋は僕らにとっては邪魔なんだ。お風呂場は、二人介助で使えないんだ。最近向島に引っ越してきた方は足を怪我したそうです。

私自身は古い人間で、障害者運動の初期の段階で考えてきたメンバーは、今まで入れなかった人が入れるようになっただけでもよかったね、という考えがどこか残っている。電車でも乗れたらいいなというのと、いまは何両目に乗りたいという若い人もいる。それは贅沢といっていいのか、当然の主張といっていいのか、非常に迷う状況です。

こういう住宅にしてほしいという新たな変化というか進歩というか。私なんかは、畳にゴロッと横になれる感覚は好きだけど、人によって、全部電動で動けるようにしてほしいというのは当然の要求だと思います。そのへんがこれからの新たな運動の要求と思っています。この前行ったときにも、ある程度の話し合いができたという感覚もありましたが、昔と今の事情がかわっているというのを、私たちも公社の人たちも認識をあらためていかないと。あっちは、「《皆さんを》入居させてやるんだからありがたく思えという姿勢を直し、「○○の市営住宅の入居者はガラが悪い」などと陰口を叩かれるようなことではなく、双方共にかわらないといけないのではないか。

あと、これからの障害者運動のリーダーになっていく後輩の人たちが、私たち(先輩)が世の中の考え方や環境を変えてきたことについて、まだまだ不十分ではないか、先輩たちは何してたんだ、という批判もあるかも知れない。けれども、現代の環境ともまた異なり、昔の限界もあって、私たちの発想がそこまで及んでいなかった。

住宅に出入りするための歩道車道交差点、電車・バス・飛行機、点から線になる生活。それが住宅の問題か街づくり運動というか。住宅だけ独立していいものができても、つながらないという面も、視野を広げて考えていかないといけないかなあと考えています。

●自分自身の体験から

私は、山形県の天童というところで生まれて、お寺の中で生活をしていた。おかあさーんと呼んでも、私の部屋からは、本堂で掃除しているオフクロに声が届かない。腹へったーと言うと、今日は法事だからまだだよと言われる。「まだ(もっと)食いてー」と言うと、ご飯に醤油や砂糖や 味噌をかけてわたされた時代。マヨネーズや卵なんてとんでもない時代。そんな子どもの頃に育った。

二箇所目は、寺から出ると決めて、天童の公営住宅に申し込んで、ようやく入れるようになりました。ところがこれがまずかったんですが、公営住宅に長く住まないうちに出なくてはいけなくなった。酒田市という所に行きました。自分で印刷屋をやっていて、それを辞めて福祉用品を売っていた会社があったのですが、そこに勤めることになりました。そこで支店長になって、会社の寮のような民間の家を住まいにしていました。その頃は私は二階に上がれたんですね。腕力と足のちからで毎日朝と夜に昇り降りして、寝泊まりしていた。その頃に土田さんという人と出会いまして、土田くんがある日突然かばんを二つ持って家出をしてきた。「おれ、今日からここに泊まる」と、寝泊まりをはじめた。私はあわてて会社に了解をとった。しばらくすると、会社でアルバイトしないかと言われて、不思議な二人の生活が始まったんですね。その頃は土田さんも車も運転もし営業もし、私と一緒に動いていました。支店長時代にバックしてきたワゴン車にひかれて、全身七カ所の骨折で半年入院。退院してきたときに、私が土田さんの家に転がりこんで、二ヶ月くらいもぐりこんで居候の生活していた。

そんなこんなの中で、車いす市民全国集会で知り合うこととなった長橋さんから誘われて京都に来た。京都に来たけど私のすみかはない。長橋さんの家に超ハードな研修?を受けながら、明け方近くまで色々な話を聞くことになった。夜中には奥さんが夜食を出してくれて、朝方寝て昼まに起きて、という生活が3ヶ月ほど続きました。そんな中、宮川くんが施設から飛び出してきました。アメリカの独立記念日に。宮川くんの家がない。私はその頃に事務所に寝泊まりして24時間勤務だとか言われて、大家さんからは寝泊まりはだめだと言われていたが、障害者の相談は昼夜を問わないので、宿直ということで、活動を続けた。大家さんも「こいつら騙してんなと思っていたでしょうが、許してくれていました。そこに、もうひとり超へんな人が飛び込んできたわけです。無理だろうと思いながらも家をさがしました。西陣の下長者町というところに長屋を見つけました。契約が決まる時には一悶着ありました。大家は「宮川さんの名前ではだめです、矢吹さんの名前ならいいです」ということだった。明らかにおかしいんだけど。宮川くんたちが地域で自立生活するなんて誰も思っていない時代だから、保証人の問題などいろいろある。そこで、矢吹がかりる、長橋さんが保証人。私が宮川くんと同居するというへんなことになりました。長屋ですから、戸はガタガタでトイレはつかえない。近所からはあんたのような人がくるんだから、火災保険の料金をあげないといけない、捨てた生ごみの袋の中をあけられたり、電動車いすの音がうるさいとも言われました。宮川くんも知らないということもあって、電磁調理器とストーブ一緒につけてブレーカーがとんで、宮川くんはどうしていいか分からなくて、困ったこともあった。あの頃携帯電話なかったので、急いで玄関を出ようとしたら、玄関をぶち破って、ガラスの破片が散らばって、電動車いすで中から出られなくなった。誰かが見つけてく れて連絡もとれて、何とかしてくれた。いろんな人を緊急でよびだして、なんとか生活した。

住宅という問題で言うのか、なんといったらいいのか迷いますけれども、重度の障害者が暮らせるような住宅構造ではなかったんですよ。それでもなんとか我慢しながら暮らしていたときに、近所から大家さんに電話がいくわけです。なんであんな奴に貸したんだと。近所からいろんなクレームがきて、大家さんが近所の人に謝るようなことになってしまって、「私もどうしようもないんです。申し訳ないけど出ていってくれませんか」と言われた。急に言われても次に住む家がない。次の家が決まるまでおいてくれ、というわけです。

 亀岡に日本自立生活センター亀岡地域自立ホームというグループホームをつくりました。その グループホームに入れるようになったのがその次の年の6月頃。全面的な理解の中で借りることになった家なのだが、家を改修する前に入ったので、これまた大変でした。その都度長橋さんに怒られていた。グループホームで生活をはじめたのが、O,K,Y,宮川,M,です。亀岡の地域自立ホームの所に、Mさんという方のお父さんが郵便切手とかハガキの販売許可をとっていて、クリーニング屋をしていた方なので、クリーニングの取次店になり、郵便も売ろうと、生活福祉社をつくってやっていこうということになり、Oさんが中心になってやった。山形のりんごや乾麺を仕入れて、販売しながら生活福祉社をやってきた。宮川くんはですね、毎日出かけていって亀岡の坂道をおりていって、行きはよいよい帰りは怖い。行くときはすっきりした顔ですが、帰りは京都駅あたりでどうやらワンカップを飲むらしい。駅員からまた飲んできたんかと言われながら、全部の駅員が宮川くんの名前を知っている。Mさんも白梅町に亀岡から通っていた。ときどき宮川くんが意識を失ったかのようにベロンベロンになりまして、坂道からこけるんですね。崖からおっこってみたり。歩道の途中で眠り始めて、通行人から救急車をよばれたり。気持よく起きたら救急車がいた。別に僕何もしていないと。途中でバッテリーがなくなって、派出所で充電したり。警察官もみな宮川くんの名前を覚えた。私が言いたいのは、グループホームをつくらないと私らが自由にできる住宅はなかったということ。入居者皆でお金をかりて住宅を改造して、それをグループホ ームの家賃で返していったという経過もありました。グループホームからも入居者が順番にでていき、宮川くんも京都市の市営住宅にあたって、グループホームは現在は残念ながらなくなってしまいました。

 亀岡から、久御山の公団住宅にうつりました。久御山から淀の府営住宅にうつりました。府営住宅にうつるときも、入り口や室内のバリア構造の件で京都府とけんかしたりして入りました。それよりも市営住宅がいいねえということで、向島ニュータウンが競争率が低くて一発で入ったということです。

●これからの住宅運動に向けて

私が生まれたところから考えると10回くらい引っ越しています。ですからもう引っ越したくない。ただ引っ越したくないけど、私が住んでる向島は宇治川とか天ヶ瀬ダムが決壊すると3メートルくらい水があがって、ハザードマップによれば、地域住民の4,000人くらいが間違いなく死ぬそうです。そんなんおかしいじゃんという話をしながら、向島で防災の話が盛り上がっています。地域の防災の会議のときに言いました。私だけ生き残りますのでよろしくおねがいします。文教大学の先生が「わかった、矢吹さんだけ助ける」と言ってました。住宅の問題だけではなく、生活の場面も重要です。近所の消防署も、派出所もぜんぶ水没して、ぜんぶやられます。あてになりません。私は、超怖いところに引っ越したわけです。引っ越さないようにするには、安全な場所にしないとい けない。住宅供給公社にこれから要望していくのは、災害時には4階とか5階を開放して、避難場所にしてくれと。あえてそこを空室にして、いつでも避難場所として使えるようにあけておくべきじゃないかとこれから要望していこうと。という住民の相談会が行われています。車いすの人と視覚障害者を対象にしたシュミレーションをやってみようという話になっています。向島で30年間なかったとりくみです。(2015年)2月22日が本番です。場所は私の家です。午後からの話し合いはあいりんの幼稚園の体育館で説明があります。

ですから、障害者のリーダーたちは自分たちの家がままならない状況からはじまって、これから生活する人たちの問題とようやくつながってきた。自由に暮らすためには、駅の近く であったほうがいいとか、お店の近くであったほうがいいとか、それはそうあるべきだろうと。そういう場所に家を立てていかないといけないだろうと。


■参加者との議論

矢吹 介助者はどんな部屋がいいと思うの?
A やっぱり車いすで反転したり、移譲のときに感じるのは、狭さ。スペースがあればいい。
B 細かいことはいろいろありますが、基本は障害者の人が身体的に楽に過ごせるかどうか。身体介助など本人がしんどかったらたいがい介助者もしんどいので。

矢吹 とまり介助の人はどこにねてるの? そんなスペースあるの?
Y いっこ部屋があいてるから。そこで寝てもらっている。声をかけたらくる。
土田 おれはとまりはない。
N  自分のとなりにひかえてもらっている。呼んだらすぐに来てもらえるように。隣で寝てもらうほうがよい。
土田 おれはナースコールをつけている。トイレだけど。
宮川 それうちにはない!

矢吹 どんな家に住みたい?
土田 その前にいろいろなおそうとしたら現状復帰といわれる。
Y オプションを自分でとりつけられるような部屋にしておいてくれたらいいのに。お風呂から寝る部屋まで天井にレールをつけて移動できるようにしようとしたけど、現状復帰に阻まれたから。

2015年5月14日木曜日

京都市住宅管理課に要望書を提出





(写真は昨年度の車いすと仲間の会キャンプ地の琵琶湖です)

京都市市営住宅に内覧の仕組みをくわえる要望書を提出してきました。
同じ要望は数年前から出し続けてきました。
今年は新しく選出された市会議員の方々にも要望させていただこうと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。


(以下、要望書です)
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2015年5月14日

京都市長 門川 大作 殿


日本自立生活センター(JCIL)
〒601-8036  京都市南区東九条松田町28
メゾングラース京都十条101
TEL:075-671-8484  
FAX:075-671-8418
担当:土田五郎・高橋慎一


市営住宅の運営に関する要望書

私たちは、京都の南区に拠点をおく障害者の権利擁護団体、日本自立生活センター(Japan Center for Independent Living: JCIL)です。私たちは、2008年から京都市住宅管理課、京都市住宅政策課、京都市住宅供給公社、京都市障害保健福祉課に市営住宅の運営に関して要望をしてきました。
たとえば、空き家状態になっている部屋に改修予算をつけていただいたり、優先入居枠を増やしていただいたりしてきました。また、2012年からは車いす住戸当選後の入居前(二次審査前)に部屋の内覧をさせていただけたらとお願いしてきました。2014年には、神戸市の車いす住戸内覧の取り組みをご紹介しました。そして神戸市と同様に、二次審査前に車いす住戸を内覧して、和室の段差解消などの必要な改修を、入居前に地方自治体負担でおこなっていただけるように、要望しました。
車いす住宅の設計や運用には、実際に住宅に住む車いす使用者のニーズ把握が絶対に必要です。そこで、私たちは現在車いす住宅に住んでおられる車いす使用者に独自の聞き取り調査をおこないました。その調査結果を要望の根拠になる資料として添付させていただきます。
この間、日本の障害者をめぐる情勢は大きく変化してきました。障害者権利条約の批准、障害者総合福祉法、障害者差別禁止法、障害者基本法など国内外での法制度整備もすすみ、地方自治体レベルでも京都府は障害者の権利を擁護する条例をつくっています。重度身体障害者などの車いす使用者が、施設から地域に移行する大きな方向性ができています。民間住宅の入居差別がのこるなかで、公営住宅は車いす使用者にとってとても大切な選択肢です。当事者にとって、よりよい制度運用をしていただきたく、微量ではございますが、聞き取り調査結果を提供させていただきます。




1.内覧の仕組みをつくっていただく際に、敷金の支払・保証人の提示等の二次審査よりも前に、住宅の内覧ができるようにしてください。

2.現在の市営住宅車いす住戸に設置している段差のある和室を、内覧後、希望者に関しては、 京都市の負担で段差解消できるようにしてください。新規入居者だけではなく、現在居住している人も和室の段差解消を利用できるようにしてください。


以上。




2015年4月24日金曜日

【メンバー紹介⑤】宮川泰三


宮川泰三。50代。日本自立生活センター・スタッフ。全ての人に安全な駅ホームの設置を進める会・代表。1980年代初めに福知山から京都市内に移住。日本自立生活センター設立のきっかけになる。

自立生活にふみきった理由は「タバコと酒」と断言。
粘り強い活動スタイルには定評があります。
現在市営住宅に住んでおり、和室の段差を解消したいと考えています。

2015年4月20日月曜日

DPI日本会議常任理事会に参加


(写真は東京上野のアメ横付近です。)

4月19日(日)に東京の麹町区民会館でDPI日本会議の常任理事会がありました。

車いす住宅に対する公的支援の制度をつくるために、何ができるか、全国ではどのような取り組みがあるかを知りたい、私たちの取り組みも知ってもらいたいと思い、参加の機会をいただきました。

貴重な時間をさいていただき、またとても大切なアドバイスやコメントをいただきまして、参加者のみなさま本当にありがとうございました。

DPIでのやり取りは録音記録しましたので、またこのBlogでも内容を紹介させていただきたいと思います。


2015年4月18日土曜日

間取り画作成に向けて


(上記画像は間取り作成の方法を公開しているサイトです)

先日は小松さんと2人で会議をしました。

小松さんは、みんなの理想の間取りを模型化したいと以前から言っておられました。

しかし、お金もかかるので、まずは間取り画をつくってみるという方向で考えました。

小松さん作成の間取り画をどんどんアップしていきます。

2015年4月12日日曜日

2015年4月9日(木)定例ミーティング



2015年4月9日(木)に定例ミーティングをやりました。

4月18日・19日のDPI日本会議の常任理事会に参加して、活動報告と呼びかけをさせてもらうことになりました。

どうぞよろしくお願いします。

2015年4月11日土曜日

【メンバー紹介④】岸本依子



(写真は先日の会議中の一コマです)

岸本依子。1988年生まれ。2014年からJCIL自立支援事業所スタッフ。難病の方の住宅探しの支援をきっかけに、住まいの場づくりの会議に参加。
「難病や障害を理由にここしか住めへんというのではなくて、住みたいところに住めればいいな、ひとりでもそういうひとが増えればいいな、と思いながらかかわっています。」
ラーメンが大好きで美味しいラーメン屋を日々探しています。

2015年4月10日金曜日

【メンバー紹介③】下林慶史



下林慶史、1987年生まれ。もともとJCILのヘルパー派遣を利用していて、大学卒業後の放浪生活をへてJCILから声をかけられ、2010年からスタッフになる。土田さんから「お前が家をかりたら改築してやる」とせまられて、「住まいの場づくり」会議に参加。

「いまも家を探し続けています」
2014年度からDPI日本会議常任委員。
http://www.dpi-japan.org/dpi/yakuin.html

さいきん緑のものを集めています。



2015年4月5日日曜日

市営住宅についての聞き取り調査



市営住宅についての聞き取り調査をしました。
主に車いす住宅にある和室の部屋撤去の必要性について調べたいと思っていましたが、それに限らないお話がたくさんうかがえました。

上の写真は京都市市営住宅の車いす住戸にある和室(段差あり)です。




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京都市市営住宅にかんする聞き取り


概要
●主体:日本自立生活センター・住宅部会
●対象:京都市市営住宅の車いす住戸に居住中の方
●方法:対面での聞き取り
●人数:6名(向島2名、東野、烏丸、西京極、唐橋)
●期間:2015年3月5日〜2015年3月19日
●結果:車いす住宅に実際に住んでおられる方が感じている、住宅設備の便利な面と不便な面の両方を聞き取りした。各市営住宅の構造の差もあって、生活要望の内容は、きわめて個別性の高いものと、車いす使用者全般にあてはまるものが混在していた。しかし、不便さを感じる点については概ね一致している。
  顕著だったのは、段差のある和室についての要望である。段差のある和室は、 車いす生活を送っている重度の障害者にとっては、利用しにくい構造であると指摘できる。①入ることができない空間をつくり生活スペースを狭隘にしている。②目の届かない空間になってしまい、物置スペースとしてさえも利用が困難になっている。

以下、各項目にわけて、聞き取りしたニーズを要約する。

和室の段差:車いすで入ることができる生活スペースが狭くなる(烏丸、向島、東野、唐橋)。住めば結果的に使い方を各自つくるが、積極的に使えているとは言いがたい(烏丸、向島、東野、唐橋)。

→ 和室の段差解消により車いすや歩行器で入ることができるスペースが増える。

間取り:和室の位置によって、主要な生活スペースがフラットに広くとれるか否かが決まる。烏丸と唐橋はリビングと和室が隣接しており、フラットな生活スペースが少ない。東野は和室が孤立したかたちになり、リビングとキッチンが隣接しており、フラットな生活スペースが多い(東野)。烏丸はせっかく部屋数があるのにワンルームのような雰囲気になってしまっている(東野)。

 →  生活機能別に部屋を使い分けられる間取りと、メインの生活スペースをフラットに過ごせる間取りの両立。とくに車いすや歩行器で移動できる範囲が増えるようにフラットなスペースを確保。

台所:障害者が家事をしないという前提で台所がつくられている。ウォークインクローゼットや高さの変えられる台所などがあればよい(東野)。

→  障害者が家事をするという前提で台所設備を設計。

玄関:広さは十分で段差もない、入り口にコンセントがあってよい、車いす置き場所がほしい(唐橋)。玄関アプローチが車いすで移動しにくい細く入り組んだ構造になっている(向島)。毎日のことなので車いす置き場所がほしい、コンセントがほしい(東野)。

 →  車いすで入りやすい構造。車いすの置き場と充電用コンセントの確保。 

お風呂:手すりの位置(住宅によって箇所が異なる)、浴槽の形状(掘りごたつ式、通常の浴槽)、浴室床の形態や建材など、個別性が高い(烏丸、向島、東野、唐橋)。

→  個別性が高いけれども、対応できないと高齢者や障害者にとっては、生活の質が著しく悪くなる。個別性の高い浴室へのニーズを充足する方法が必要。

トイレ:トイレの床がコンクリートむき出し(烏丸、東野)、洗面所と脱衣所とトイレが一体化されているのでプライバシーがない(向島)
ベランダ:自分では出入りしにくい(唐橋、向島)

聞き取り全文

▪Aさん 
30代前半、男性、身体障害、独居、車いす常時利用、向島市営住宅、2013年入居

ー市営住宅に入ってよかった?
それはよかった。まだ入って3ヶ月だけど。 
ーいつも車いすで生活しているの?
そのままです。お風呂とトイレと寝るとき以外はずっと車いすの上。
ー部屋のなか移動する?
寝室のベッドの横にほとんどいて、トイレとお風呂以外は移動しない。
ーなんで移動しないの?
テレビが寝室の方にあるから。動くのがめんどくさい。和室が低くなったら移動するかな。いまは二部屋だし、いいかなと感じる。リビングが荷物置きになる。机があったり、冷蔵庫があったり、掃除機とか、前の車いすとか家具を置くと狭くなる。あと寒いから暖かいところにいたい。
ーずっと車いすにのってたらたまにおりたい思わない?
本音はおりたい。乗り降りが手間だから。介助者がひとりでは無理。リフトは体がコンパクトにならないので無理。ずっと座っていたらお尻痛いし、乗り降りできるものならしたい。お尻が痛くなったら介助者に体をあげもらう。
ー部屋はぜんぶつかえるか?
和室がつかえない。
ー高いか低いか。
高い。まあもう荷物置きやし。
ー低かったらつかうか。
今の環境からいくと微妙。
ようするにテレビの高さがちょうどいい。泊まりの介助者の人がそこで寝ている。あと押し入れとか服が置いてあったり。和室の部屋にのぼったことはない。Yさんの部屋に一度泊まったときにのぼったことがある。
ーずっと住むの?
たぶん。変化がなかったら。
ー和室とって低くなったらいいかな思うか?
何とも言えない。テレビの高さが変わらないで、出入りできるようになるならいい。物置としてしかつかえない。
ーお風呂はどう?
浴槽の横に手すりがある。お風呂の手すりが邪魔。二人で移動するのに飛び越えないといけないから。高齢者の人や軽度の人に対応しているのかな。以前住んでいた部屋がお風呂があかんかった。
ー市営住宅で困りことある?
お風呂の手すりをとりたい。現状復帰を考えると難しいのかな。
ー今の住宅でいくつめ?
ひとつめが実家、ふたつめが民間賃貸2DK、みっつめが今の向島の住宅。お風呂とトイレが入れない。足を伸ばして入浴ができない。浴槽が狭い。浴室はお風呂介助者2人と入って、ぎりぎりだった。市営住宅の浴槽は足を伸ばせる、でもスペースはぎりぎり。
ー住宅さがしで大切にしているのは?
前の家でお風呂でたいへんだったので、お風呂。
▪Bさん 
50代、男性、身体障害、独居、車いす常時利用、西京極市営住宅、2004年入居

ー市営住宅に住んで何年?
11年。
ーいいところとか悪いところとか。
お風呂のことでは、湯船の大きさはちょうどいいと僕は感じてる。
ー入浴のときに不便さはありますか。
ある。お湯をためるのが、ボタンでお湯をぬけたらいい。なんでかったいったら、[お風呂の栓の]鎖が入浴時に足にからまるから。足にからまってとれてしまう。いまは僕が入るときには、チェーン[の浴槽との接続部]を外してる。あと[お風呂の]床が普通のタイルだから、タイルじゃないものがいい。僕の場合は浴槽の横で体を横にして洗うから背中が痛い。いまはお風呂マットを入れている。お風呂から出て僕を運ぶときに高い段差がある。あれはきっと普通の車いすに合わせたと思うけど。僕は介助者2人でかかえて移動するので[お風呂の出入り和室の出入りともに段差が]危ない。
ーリフトをつかうかとか考えなかったですか。
前に僕の部屋からお風呂までのリフトを考えたけど、結局、市があかんと言うた。僕が出た時、誰が直すのかと。現状復帰。見積もりまで業者でとったけど、あかんかった。
ーいいところは?
いいといころは、背中を洗うときに横になって手すりをもつのだけど。そなえつけの手すりがちょうどいい高さにある。
ー車いすはずっとのっておられますか?
トイレ大、お風呂、寝るとき、だけ。それ以外はずっとのっている。
ー部屋のなかは車いすで移動しますか?
僕は言葉があまり出ないから電動車いすで行って見ていたほうが早い。料理などの家事は僕が見ながらやるのがいちばん早くなるから。家事を見るので移動する。
ー和室の部屋はどうやってつかっていますか?
寝室としてつかっている。僕が寝るときは、介助者が体をもって自分で車いすから立てるから、そうやって車いすから和室に移動する。あともう一部屋も和室で、介助者が宿泊の時つかっていたり、物置になっていたり。
和室には車いすが入れない。いま段差がなくなったらフローリングにすると思う。以前は座る姿勢になれなかったので和室は使いにくかったが、今は座る姿勢ができるようになったから、あの段差をなくすのはどうかなと思ってる。ただ車いすで入れないとは思っている。
ー家に予備の車いすの置き場ってどうしていますか?
裏のベランダにおいてカバーをかけてる。けど近所の猫の部屋になってる。市営住宅はベランダが広い。
ー他にも困っていることなどありますか?
以前は玄関のドアを自動ドアにしたいと思っていた。
ー住宅で大切にしているものは何ですか?
いまのところは施設を出てはじめて独り暮らしをしたところ。施設にはなかったプライベートを大事にしている。最近そう考えるようになった。



▪Cさん
50代、女性、身体障害、独居、車いす外出時は常時利用、東野市営住宅、1997年入居

ー何年住んでいますか?
18年くらい。
ーいつも車いすで過ごしていますか?
家の中では歩行器をつかっている。私はつかいやすい。いちばん初めは家のなかでは何もつかわないで歩いていた。でも首を悪くしたから、そこでかわった。うち[東野市営住宅]はつかいやすい。
ーどういうところがつかいやすいですか?
和室があるけども、和室はおまけみたいな場所にあるから、[結果的に生活の]メインの場所はぜんぶフラットにしています。唐橋市営住宅では、台所とつながっているところに和室がある。その横が洋室になってて。台所に行き来ができる。寝室も同室のようになっている。洋室の横に和室があって、和室がかくれているみたいな感じ。うちは唐橋の和室部分に洋室があって境目がフラットになっているから、[メインの生活スペースとして]つかえるスペースが広い。烏丸市営住宅は部屋の間仕切りがあるのにワンルーム的な感じがして、狭く感じる。
ー和室の部屋はどうやってつかっていますか?
タンスはおいてるけど、何もつかっていない。お客さんが来たときにつかっているくらい。
ー和室はあってもいいですか?
私はあの和室の部屋扉をとっているから、帰宅時に着替えるときに段差を椅子がわりにしている。和室はあったほうが楽かな。最近膝が痛くて、立ち上がるときとかに、段差のところに座ってる。段差のある和室の方がなぜか暖房のまわりがいい気がする。
ーお風呂は入りやすいか?
私は入りやすい。掘りごたつ式のお風呂が私にとっては入りやすいので。広い。けど寒い。
ー玄関はどうですか。
昔は玄関に電源がないから自分でつけた。できたら今後玄関に電源をつけてほしい。車いすの置き場所を確保してほしい。車いすをベランダにおいてたら猫にオシッコされた。うちはお風呂場の隅っこに物置スペースをつくっていて、そこに収納は入れているけれども。でも毎日のことだから、玄関に電源がほしい。私は自分でつけたけど。
ー他に生活で感じることは?
台所の上の戸棚を上下式のやつになったら便利。鍋を置くところをウォークインにしてほしい。鍋を置く所に届かないから。自分で流し台に立ったり、片付けたりもするから。あの台所は障害者がやるっていうことを考えていない。
今のところの設計は障害者が何もしないという前提での設計と感じる。掃除も洗濯も家事も誰かにやってもらうというような設計に感じる。あと、東野市営住宅はトイレとか床がコンクリートむき出しだから、フロアクッションをしいた
ーいまの家に住むまでは?
はじめに実家住まいから、亀岡のグループホームに引っ越した。ここはトイレ台所お風呂共同だった。つぎにワンルームマンション。ここはキッチン、バス、トイレつき。そしていまのところ。
ー家探しでいちばん大切にしていることは何ですか?
駅から近いところかな。市内への移動を考えたら。それでも私は自然があるところで暮らしたいので、今のところが好き。




▪Dさん
60代、男性、身体障害、独居、車いす外出時は常時利用、唐橋市営住宅、2013年入居

ーいつから住んでいますか?
2年前から。
ーそれまでは?
山形が実家で山形の仕事場の寮や民間の一軒家とかに住んでいた。京都に来てから、亀岡のグループホーム、京都市内の公団、そのあといまのところ。
ーいまの市営住宅について聞かせてください。玄関は?
玄関は段差がなくていいけど。玄関が自動ドアになったらいいなと思うこともある。鍵が自動的に開閉できるような。  
ー車いすの置き場は?
目の届くところに置きたい。車いすの状態を知っておきたい。充電ができているかとか、大事なものとか入っているときに。いまは入って右側の部屋に車いすを3台まとめておいている。
ートイレは?
ちょっと便器が高い。便器は備えつけ。座った時に足が床に届かない。足が届かないとこけそうになる。ウォシュレットを置くと便座が高くなってしまう。手すりも左型の壁についているのがもっと高いといいな。ティッシュのロールホルダーの位置が低い。
ーお風呂は?
だめだ。いきなり大きな段差がある。介助者にかかえられて、自分で置いた踏み台をステップにしてのぼる。いすに座って体を洗う。浴槽が掘りごたつ式。浴槽のふちで一回座って、どぶんと入る。出るときも、介助者が抱えて、浴槽のふちで一回座る姿勢になる。足に負担がかかるし、お尻が痛い。危ないときがよくある。
ー間取りは?
間取りはいいけど、段差がない方がいい。車いすでそのままいける。電動と手動の車いすをつかっていて、電動は外で、手動は家でつかっている。いまは車いすからおりてソファーに座って過ごしたりもするが、もし段差がなければずっと車いすで自分で動いて暮らすようになると思う。
ー和室は?
段差があって、あがるときにのぼれない。いまは踏み台をおいて、のぼりおりしている。使わないでもの置き場にすると、間取りが狭くなるし、ものの置き場に困る。いまは寝室にしていて、大きな介護用ベッドや机やパソコンなど大物の家具をおいている。
ー台所は?
収納があまりないな。
ーベランダは?
広くてよいけど、出入りがちょっと難しいかな。本当は自分でも出入りしたい。








▪Eさん、60代、男性、身体障害、家族同居、車いす常時利用、向島市営住宅、200・年入居

ー困っているところはどこですか?
古い建物のメンテナンスが目立っている。ドアがあかなくなった。建物を建てている人がもういないから、メンテナンスする人も理解しないでやっている。
ー間取りは?
狭い。部屋数は3部屋、台所、風呂場、トイレ。入り口からまっすぐ入ると突き当たりが壁。直角に曲がらないと家に入れない。あまりものが置けない。入り口入ってから間もなくのところにガスの元栓がある。そこにガスストーブをおくと車いすで出入りの妨げになる。ガスの受け口が部屋の奥にあるけど、変なところにあって使い勝手が悪い。そこにストーブをおくと、大きな家具の置き場所が難しくなる。タンスは和室においてあるから、おれは何がどういうふうに入っているか分からない。玄関も殺風景。余裕がない。
ートイレは?
トイレと洗面所が一緒。おれと彼女が生活しているなかでは、同時にでかけるとき、帰ってくるとき、トイレしている横で、歯をみがいていたりする。トイレの便座と洗面台との間に仕切りがない。プライバシーを考えていない。たとえ夫婦でも見せたくない、見られなくないものもある。あと洗面所の手すりはいらないな。
ーお風呂は?
すのこを自分ででおいている。まず脱衣場がない。入り口から出ると、踊り場のようなものがあって、そこで着替えができるが、おれの家は脱衣場という発想がない。おれが入りやすいように浴槽の洗い場と同じ高さのすのこを準備した。丸々裸になっていくか、すのこの上にのってから脱ぐか。ところが、おれの前に彼女がが入っている場合には、すのこはもう濡れている。浴槽はおれにとっては深い。中にお風呂用の補助いすを入れている。
ーひとりで暮らす期間を想定したら?
彼女が病気で入院したときのことを考えると、お風呂のガスを沸かすための給湯装置に手が届かない。ガスの元栓も届かない。洗濯機の置き場所が狭い。二層式しか想定していない。ドラム式をむりやりはめこんで使っていると、車いすでトイレに行こうとすると、トイレの中でUターンできない。
ー和室は?
和室はほとんど物置。一時期布団しいて寝ていたこともある。書類おき、物置、テレビを置く場所になっている。押し入れもある。
ーもし和室の段差を解消できるとしたら?
いまのおれならとりたい。10年前なら、なんとなく安心してごろんとできる場所がほしかったから。自分の体が動きにくくなっていることでごろんとするのも大変。いままではひょいひょいと上がっていたけど、最近はめんどくさい。とくに酸素を抱えてから。。2002年から酸素をかかえてる。重度になったから。
ーどうしてもなおしたいところがあるとしたら?
安全を裏口をスムーズに出られるようにしたい。ベランダをあけて外に出て行くときに段差がある。段差があるのが不思議。ベランダの外から鍵をかけられない。根本的には全部だね。
ーよいところは?
いちばん今まででよくなったのは、駐車場だね。駐車場が目の前にあるから。いままでは他のところにいかないとけなかったから。雨の日は大変だったし。直前に住んでいた府営住宅と比べて、、ほとんど広さが同じだしね。。市営住宅のほうがよいとはほとんど感じないな。あと現状復帰というのが。。箱だけで住んで、好きにしていいといわれるほうが、よっぽどよい。それで出るときに、ぜんぶ壊す。


▪Fさん、50代、男性、身体障害、独居、車いす常時使用、烏丸市営住宅、200・年入居

ーいまいちばん困っていることないか?
真ん中の和室の部屋。段があって、僕が自分でいけない。物置。
ーお風呂
別に問題ないけど。住み始めたときは段差をかえなあかんな。掘りごたつ式の浴槽はあれでいい。
ートイレ
トイレとくに問題ない。トイレの床がコンクリート。カーペットとかやったらあったかくなるかな。
ー間取り
和室がなくなったら間取りをかえる。いまは部屋で動くこともできない。
ーいいところはあるか?
玄関が入りやすい。
ーもし和室がとれるとしたらとりますか?
とる。













2015年3月27日金曜日

2015年3月26日定例ミーティング議事録

(写真は京都タワー展望台からの大阪方面の眺望です。眼下にあるのは京都駅ですね。)


先日定例ミーティングをもちました。
だいたい毎週木曜日にやっています。
毎回ではないですが、活動内容のご報告までに、議事録(簡略版)をときどき書かせていただきます。

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住まいの場づくり定例ミーティング議事録
日時:2015年3月26日(木)13時30分〜 
場所:日本自立生活センター事務所

1.京都市市営住宅のこと

・市営住宅の車いす住戸に住んでいる人たちにインタビューをした(唐橋1名、烏丸1名、東野1名、向島2名、西京極1名)。いまの車いす住宅の問題点などをまとめて、住宅管理課にもっていこう!

経緯:土田さんが椥辻の車いす住宅に当選したとき、車いす住宅を入居前に内覧させてほしい、とお願いしたら断られました。内覧できないっておかしいよ、みんな家をかりるときに部屋をみるでしょ、ということで、内覧制度をつくるために取り組みをはじめました。その流れから、市営住宅の車いす住戸の改善にむすびつくような聞き取りをはじめました。

・地方選挙がもうちょっとである。市会議員候補者のみなさんにお願いしにいこう!


2.車いす住宅をふやすために

・国交省や全国各地の住宅課に車いす住宅をふやすための要望を出していこう!
・実態調査のためのアンケートをやろう!
・DPI日本会議の常任理事会に出席してご意見をもらおう!

3.民間賃貸住宅のこと

・生活保護受給中の人が民間賃貸をバリアフリーにする方法についていろいろ考えてきました。
・京都市福祉住環境コーディネーターの集まりで報告をさせてもらう!
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2015年3月26日木曜日

【メンバー紹介②】小松満雄


メンバー紹介の2人目です。

小松満雄、1961年生まれ。

京都府向日市から、土田五郎さんらの支援を受けて、京都市内に引っ越し。
生活保護の移送費をつかっての引っ越しで、当初は保護課から拒否されるも、交渉の結果引っ越しできることに。生活保護の人の引っ越しの問題、公団住宅の問題などを経験しました。以降、住まいの場づくりの活動に参加。

「生活保護改悪に反対する人々の会」代表。生活扶助引き下げに反対する裁判の原告。

豪快な字をえがく書家でもあります。そのうち作品もご紹介します。

「生活保護の活動がんばります。住まいづくりもがんばります。」

2015年3月19日木曜日

【メンバー紹介①】土田五郎





「住まいの場づくり」のメンバー紹介です。

リーダーの土田五郎です。御年61歳。
山形県出身。
13年ほど前から京都に移住。
職歴多彩。
電動車いす利用者。

2007年、京都市営住宅の車いす住戸があきっぱなしで放置されているのを見つけて、「おかしい」と思い、調査を開始。京都市内の市営住宅と府営住宅をとにかくビデオカメラ片手に歩きまわり、あき住戸を見つけて、改修費用をつけてもらえるように、京都市住宅管理課と交渉。見事、改修費をつけてもらいました。

以降、日本自立生活センターにて、障害者の住宅問題にかんする活動、「住まいの場づくり」をつづけています。

また、ワークス共同作業所にて、車いす改修や住宅改修の支援をおこなっています。

2015年3月17日火曜日

【資料】「障害者運動とまちづくり運動の展開(1)―矢吹文敏氏(日本自立生活センター)に聞く」



「まちづくり運動」にかんする資料をひとつご紹介します。

日本自立生活センター二代目所長・矢吹文敏のインタビュー記録です。

「車いす市民集会」という「まちづくり運動」にかかわり、京都に活動拠点を

うつすにいたるまでのエピソードです。

ぜんぶは長いので、リンクを張ります。


「障害者運動とまちづくり運動の展開(1)――矢吹文敏氏(日本自立生活センター)に聞く」
聞き手:高橋慎一

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We show you a material of "the Movement of Town Creating," which is a early Japanese activity of people with disabilities.

It is the interview with Fumitoshi Yabuki, who is the director of JCIL.

He started his activity from "Public Meeting of People with Wheelchair" and moved to Kyoto.

So this is long, we put the rink.

"The Movement of People with Disabilities and  the Movement of Town Creating."

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(以下一部抜粋です)
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■東九条と障害者運動

高橋:
 「東九条のまちづくりと障害者運動」というテーマで矢吹さんに伺うということで、二日に分けて聞き取りさせていただきたいと思います。この聞き取りは、現在京都市東九条で進行しているまちづくり運動に連動して行うことになりました。
 2008年の春から、日本自立生活センター(JCIL)の土田五郎さんとDさんが住宅保障のための運動(「住まいの場づくり」)をしておられて、市営住宅を足で歩いて調査していたり、NPOまめもやしの事務局長であるMさんに話を聞きにいったり、住宅政策課や住宅供給公社と交渉を重ねたりしていました。この東九条地域で活動する人たちとコミュニケーションをとることで、ゆくゆくは「自立生活体験ホーム」を作りたいという思いが二人にはありました。
 その東九条のまちづくり運動は、京都市東九条という、在日韓国朝鮮人集住地域であり、同和対策事業の対象にもなった被差別部落地域とが隣接する街で行われています。かつては在日と部落の青年会やキリスト者の若者たちが担ってきた住環境・生活改善運動が、「多文化共生のまちづくり」という枠で、新しく展開しています。そこに関わるうちに、東九条のまちづくり運動に、障害当事者の視点を入れることはできないかという話になりました。
 そこで、この被差別者が集住する地域に自覚的に飛び込んできた障害者団体JCILに、ぜひとも障害者の視点からまちづくりを提案できないかと。ということで、あえて――僕自身もこの言葉には疑問があるのですが――「障害者のまちづくり」というテーマを設定して、矢吹さんにお話を伺いたいと思います。矢吹さんは、代表である長橋栄一さんと共に創生期からJCILを支えてこられました。
 まずは、矢吹さんの個人史と障害者運動への関わりを伺い、次に、JCILの歴史(前史)と京都市や東九条との関わりに関して整理していただき、最後に矢吹さんの「まちづくり」に関するお考えを聞けたらと思います。話の流れは、矢吹さんのお好きな形でともとは思うのですが、一応何もないところよりはということで、僕の方で流れを一度作らせてもらいます。僕自身の理解のためにも、まずは全体図をえるために、矢吹さんのお手元にもある年表(「障害者(運動)史のための年表」)を参照しながら話をさせていただきたいです。それではお願いします。



■矢吹文敏さんの個人史~山形から京都へ

◆山形から「移動と交通」運動

矢吹:
 私が一番最初に自分達で活動をはじめたのは、超ローカルな「サークルきどう」という山形県で昭和47年、西暦で言うと1972年に発足した会があります。
高橋:
 1973年3月21日に「山形駅前地下歩道開通に伴う横断歩道廃止反対、エレベーター設置要求市民集会」と「車いすデモ150名参加」がありますね。「サークルきどう」の活動で。
矢吹:
 それ以前に、72年の段階でできているはずで、72年の後半に市民会館にスロープを付けさせるという運動があった。
高橋:
 1972年12月25日に山形でサークル・きどうが「建設中の市民会館にスロープ・トイレの設置等の改善要望書提出」がありました。
矢吹:
 その活動の前に「サークル・きどう」ができる。そのときに、私自身がそういう目覚めというか気づきの中で動き始めたのがその頃。
高橋:
 「きどう」というのはどのような意味なのでしょうか。
矢吹:
 命名した私らの間でもいろんな冗談込みの意見があって、「鬼の童」だとか、線路の「軌道」とか、無軌道の「軌道」だとか、いろいろ。
 それで、実は表向きは「山形社会保障研究会」という名称が付いていて、既成の「身体障害者団体連合会」という全国組織の下部組織が山形にも当然あり、その頃は福祉事務所に手帳を申請に行くと「この会に入りなさい」って言われていた時代なんですよ。
 何かよく分からないうちに、その「身体障害者団体連合会」に入ることになっていて、いつの間にか「体育会」や「旅行」の案内が来たりする。
 その頃は、今みたいに個人情報とかプライバシーの保護とかが言われてない時代なので、要するに、どこの家の誰々が障害者だというのは、名簿を見れば分かる状態だったわけだね。
 当時、入所施設の中から「施設改善」を求める内部告発があって、我々は、古い体制の身体障害者福祉協会という枠の中でしか動けないのはおかしいと思った。
 「もともと色んなことを改善させるためにあるわけだから、もっと動いてくれ」と組織役員に上に言ったんだが、「そんなことを言うなら出てってくれ」と言われて、そんなら自分達で外でやろうといって始まったのが「サークル・きどう」なのね。それは当初は、障害者と健常者関係なくやり始めたんですよ。
 で、結成するとほぼ同時期ぐらいに、山形市民会館が新築されるということで、設計図を見せてもらうと、スロープもトイレも何にもないということが分かって。それで、市町の親戚の方を介して急遽市長の家に押しかけて行ったり、議会に行ったりして何とかしてくれと言い始めた。そんときは怖いもの知らずというか、「市長誰か知ってるか?」「オレ知ってる。行こうか」みたい感じで。
高橋:
 ちょっと話が前後しちゃうんですけど、1971年に宮城県「仙台市で「福祉のまちづくり市民の集い」発足」とありますが、ここには参加しておられたのですか。
矢吹:
 それはどっちかというと「全障研」系だね。ただ、この頃は、どの組織がこうだというような先入観がほとんど無かったから、色んな集会があれば飛び込んでいった。
高橋:
 1969年12月に「仙台市の「生活圏拡張運動」始まる(後にまちづくり運動に発展)」とありますが、これは矢吹さんは関係しておられますか。
矢吹:
 直接は関係していないんだけど、そこに参加した村上さんという人が、村上さんというボランティアと一緒に、たまたま宮城県にある西多賀療養所、筋ジスの人などが多く入っているんだけど、そこの人たちが街に出たときに、車道の段差が多くて厳しい、トイレもどこも行けないというので、そのときに彼らが言った言葉は「ちょっとした配慮を」。
 お金をそんなにかける必要もなくて、トイレと言っても、まだ広いトイレを作るっていう発想もなかったから。ちょっとでも使えるようにしてくれたらいいんだということで、彼らは「遠慮がち」に二人でお願いに歩いたと。
 ここで時代の潮流というのか偶然というのか、筋ジスでカリスマ的なリーダーである山田冨也という人が、仙台で自分達の主張をするために、『ありのまま』という映画(現在の社会福祉法人「ありのまま舎」)を作る。彼らは「命」という問題を中心に訴えた。
 「自分たちは他の人たちよりも早く死んでしまう」ので、その命をみんなはどう考えるのかと。例えば「自分たちの命を少しでも長くするために、病気の原因解明と治療方法を1日も早く研究してほしい」というような要求をしていた。
 そのとき「ありのまま」と「ちょっとした配慮を」という運動とが繋がって、そこに着眼したのが朝日新聞厚生文化事業団。その頃の朝日事業団の功績というのは我々から見てもめまぐるしいものがある。好景気という時代背景もあって、厚生省に先駆けてさまざまな支援事業を展開した。
 それがこれ(朝日新聞大阪厚生文化事業団『先駆――55年の歩み』1984年発刊)を見たら分かるんだけど。そこから朝日新聞厚生文化事業団との関係で生まれたのが、「車いす全国市民集会」なんです。
高橋:
 第一回目は仙台で1973年9月20日「車椅子体験旅行と交流集会」という名前ですね。これが第2回から「車いす市民全国集会」として発展した。
矢吹:
 そうそう。そこのときは事業団としてはそれ一回で、イベントとして終わりのつもりだった。
 ところが、我々の要望で、自分達が実行委員会を結成してやるので、お金とバックアップをしてくれと。じゃあ、一緒にやりましょう。事業団と共催でやることになったのですね。
 それが二年に一回の開催でずーっと続いたわけだ。私らが全体的に「まちづくり」と言うとき、「車いす市民集会」を軸に動いてきたという自負があるんですよ。

(以上抜粋。全文はリンク先にて)





2015年3月16日月曜日

「住まいの場づくり」とは?


(写真は京都市右京区の嵐山です。そのうちメンバー紹介もします。)

私たちは日本自立生活センター
(Japan Center for Independent Living: JCIL)で活動しています。
日本自立生活センターは京都市内に拠点をおいている
障害者の権利を擁護する団体です。

日本自立生活センターはさまざまな活動をおこなっています。

私たちは「住まいの場づくり」(Creating Residences)という
町づくり・住宅づくりの活動をしています。

このblogで私たちの活動をご紹介していきます。

どんな人がかかわっているのか。
毎日どんな活動をしているのか。
京都市でどんな変化があるのか。
などなど。

ちなみに、いまの私たちの活動には以下のようなものがあります。

①京都市市営住宅にかんする運動
・車いす住戸の空き家を改修してもらう
・障害者の優先入居枠を増やしてもらう
・入居前に内覧ができるようにしてもらう
・段差のある和室撤去など使いやすくしてもらう
など

②民間住宅にかんする運動
・民間賃貸住宅に住めるように大家さんや不動産屋さんの理解をえる
・民間住宅の改修をできる仕組みをつくる
・自分たちで改修しちゃう
など

③車いすの人が住める住宅をどんどん増やしていく
・公営住宅にかんする実態調査
・勉強会とアーカイブづくり
・国土交通省への要望づくり
・いろんな地域に要望をひろげる

など

といったものがあります。

じょじょにくわしくお伝えしていけたらと思います。
どうぞよろしくお願いします。

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We are  JCIL(Japan Center for Independent Living: JCIL).
JCIL is the advocate group for people with disabilities in Kyoto.
We have many activity and this is the web site of "Creating Residences."


From now on, We will show you our activity.
For example,

1. To assess Public Sector Residences

2. To assess Private Sector Residences

3. To create Residences for people with disabilities